こ と ほ ぎ 。

ふとした日常の、何気なく感じた、そんなことをつぶやいています。

朝がくるということ

 

「大丈夫」なんて、

唯、自分を納得させるための言葉に過ぎなくて

「また次があるからいいよ」なんて

到底、期待はしていなくて。

 

欲しいものは、一日中一緒にいられる権利。

その権利が自分の番に回ってくる時のために

我慢して、我慢して、我慢して

ようやく回ってきた時には

自分が期待していたものにはならなくて。

 

相手のことを思って、何も言わないわけじゃない。

自分が我を通せば、

その順番すら、回って来ないかもしれない。

どこかできっと、

寂しがっていたり、悲しがっていたりすることに

気づいてくれるかもしれない。

そんな淡い期待でしか、

わたしは、今を繋いでおくことができないから。

 

限られた日、限られた時間。

人は、その方がその限られた物事を大切にできるんだろう。

「いつか」は「いつか」なんかじゃない。

もう、来ないかもしれない。

だからこそ、

お互いがお互いの支えであり続けたい、と思えるのだろう。

でも、ずっと一緒に居たらそうじゃなくなる、

人間はそういう生き物なんだと思う。

 

 

他人のものを、現在進行形で奪っている人間が願うことでもないし

ましてや、普通を望む事すら

烏滸がましいのかもしれないけれど

その普通、が普通に此処に存在するならば

きっと底の見えないところに

落っこちていく事すら、なかった。望まなかった。

霞んで消えてしまいそうな毎日に必死でしがみついて

未来なんてないところに、無理やり居場所を作って。

隣にいる代わりに心がすり減っていって。

「大丈夫」と唯、抱きしめてもらわないと崩れそうだった。

「こっちにおいで」と抱き寄せてもらわないと、

「ひとりぼっちじゃないよ」と手を握っていてもらわないと、

1人で落ちていくのが、怖かった。

 

隣にいるだけの苦しさを、悲しさを

唯、救って欲しかった。

 

きっとこの現在はそういった類の代償で、

罪と罰があるから、この世界は均等にできている。

自分に順番が回って来なくても、

それは毎日の罰。

 

手を繋いで眠る時だけ、

その罰が少し、軽くなる気がする。

ほんの少し、普通でいられる。

烏滸がましいけれど、これが続けば良いと願ってしまう。

 

そうやってまた、朝がくる。