こ と ほ ぎ 。

ふとした日常の、何気なく感じた、そんなことをつぶやいています。

覚書

 

 

信じたい物事ほど、

些細な疑問が不信感へと変わりやすくて

次第に何も信じれなくなって。

否。信じることを、やめて。

 

「幸せを邪魔している」と言わせてしまった以上は、

幸せにならなければ、と思うのだけれど

どうにもこうにも

光が差しては消え、差しては消え、

切れかけの電球、のような。

 

気にしなければ良いのだろう。

全部を知っておきたい、と思うのが

わたしの悪い癖。

ひとそれぞれ、介入して欲しくないところがある。

そう、そこを無理にこじ開けるなど、

された方は不快でしか、ない。

 

 

周りの友達は殆ど結婚して、子供がいて

「幸せ?」なんて問うたことはないのだけれど

きっとみんなそれなりに、幸せなのだろう。

気づいたら、年齢ばかり重ねていて

20代前半の頃に

「子供ができにくい身体だと考えられるので、もし、結婚したいと思う人ができた時にはすぐに検査を受けてくださいね」

と言われてから数年が経ち。

誰しも年齢を重ねれば、将来的に子供をもうけることが難しくなる。

ましてや、わたしは体質的に難しい確率が高い。

だからといって、妥協はしたくない。

好きになった人と結婚したいし、その人にも好きでいて欲しい。

少しずつ年齢を重ねて、心の奥底では焦っているのに

気づかないふりをしたところで、時は止まってはくれない。

 

 

時々、とても恨めしくなる時がある。

友達がいて、飲みに行く仲間がいて、毎日楽しいと言えることが。

知り合いもいなくて、未だに慣れなくて、

帰りたくなるわたしのことなど

脳みそのほんの片隅にすら、浮かんで来ないんだろうな、と。

 

一緒にいても、寂しい。

「わたしと一緒にいて」「仲良くしないで」と言える立場にないこと。

一緒にいても、哀しい。

物事の核心に迫っても、いつもはぐらかされてしまうこと。

その度に心に蓋をして、二度とその言葉を発しないようにする。

これら全ての行き先は窓のない部屋。

 

 

 

幸せになるのは、難しい。

 

 

幸せになるのは、難しい。

 

そばにいるということ。

 

 

幸せは、そう簡単には手に入らない。

 

明日が来なくて良いと絶望するよりも

せめて少しの希望を持って欲しい。

どこにも拠り所がないなら、

少し休める場所になりたい。

 

繋いだ手の先など全く見えていないし、

これからもずっと、見えることはないのだけれど

それも全部わかった上で

できる限り隣にいたい。

そう、思っていたのに。

 

 

「結局、幸せにできていないんだよ。」

「もう、いっぱいいっぱい。」

そういって窓の外を眺めるその横顔が

本当に寂しそうで、辛そうで

結局のところ、

私はこの人の光にすら、なれていないのだなと

気づかされて、

悲しくなって、辛くなって、どうしようもなくて

ただ、笑うことしかできなくて。

 

この幸せが、誰かの犠牲の上に成り立っていると

わかってはいたけれど、

その現実と向き合うには圧倒的に覚悟が足りなかった、

のだと思う。

 

 

 

誰よりも、大切に思っているのに。

傷つけてばかりなのは、誰でもなく、私自身。

 

 

簡単なら、いいのに。

 

 

仕事が忙しくて、疲れている日。

うまくいかなくて、凹んでいる日。

「頑張ったね、偉いね」

「いつも頑張ってるね」

その一言で、明日また頑張ろうって思えて

面倒なこともどうでも良くなったりして。

 

私はこんな言葉が欲しいんだな、とか

こう言われるとすごく嬉しいんだな、とか

色々気づかされて、

それがどれも単純な言葉の羅列だけれど

私にとってはどんな褒め言葉よりも

嬉しいものになるのです。

 

 

物事の本質に迫ろうと

どんなに意を決して発した言葉でも、

それが物事を余計に曖昧にさせたり

光さえ遮って影を作ったり。

 

触れなければよかったな、

今日より良い明日を望まずにこのまま

フィルターのかかった世界で生きていたらよかったな

そうしたら、

この些細な幸せに浸っていられたのにな

 

言葉は、そう思わせることも多くて

「言葉は残酷」だというけれど、本当にそうだなと思う。

 

 

「好きだと言って」と心の中で繰り返して

縛る名前すら持たない私の存在は

まるで透明人間のようで

あぁ、好きだなと思った瞬間をいつも思い出して

黒く塗りつぶされていく心を必死で洗い流して

洗い流された水で自己存在感も、自己肯定感も薄まって。

 

ご飯が美味しいとか

2人と1匹、狭いベッドでぎゅうぎゅうになって眠る幸せとか

一緒にいると、楽しい。嬉しい。

私が思うようなことを思ってもらえていたり、

少しでも幸せと思える瞬間があって欲しい。

 

 

返ってくる言葉で心を抉られたくなくて

そんなことすら聞けずに、

ただただ、心の中で呟くだけなのです。

 

 

 

「普通の自分」を自分できちんと大切にしてあげられなくて

黒ずむ心を洗い流すことにも疲れていって、

気づけば

死と隣り合わせのことにしか価値を感じられなくなって

そこにある自己肯定のためにやる行為に溺れていく、現実。

 

そんな現実を捨てて、本当に自分を愛せたら

欲しい言葉も、欲しい現実も

全部手に入るのでしょうか。

 

誰か、その答えを教えてくれませんか。

この、真綿で首を絞めていく現実に

答えをくれませんか。

 

 

 

 

ミライといま

 

手を繋いでる写真を見る。

好きだとか、最愛だとか

会えた嬉しさとか、離れられずにいる理由だとか

隣にいる寂しさとか、愛されない哀しさだとか

そんな言葉の羅列を眺める。

 

眠れない日の、薬のようなもの。

 

今までいろんなことがあって、

寂しい、が耐えられなくて

本当は我慢が苦手で、いちばんになりたくて

ただ、抱きしめて「好き」と言われたい。

その安心感が欲しいこととか

それがないと息ができなくなりそうなこととか

全部わかって、全部飲み込んで

欲しい言葉をくれる。限られた時間をくれる。

一番狡い私を責めもせずに。

 

 

最近は、自分に対する嫌悪感が

毎日、毎日、積み重なって息ができなくなりそうで

嫌悪感に飲み込まれそうになる。

どちらも、描く先には私はいなくて

唯一の居場所も、私だけのものではなくて。

このまま時間が経っていったら

透明になって消えてしまうんじゃないか、って。

だけど、別に

描く先がなくたっていい。

そっと抱きしめてくれたり、好きをいってもらえたり

髪を撫でてもらったり、

そんな「今」の幸せがあれば、それでいい。

 

今ある幸せは、犠牲のもとに成り立っていて

手に残らない幸せは、毎日、手から流れていって。

私が掴むべきではないのかも、と、

毎日、毎日、毎日。

 

『愛されることに飢えている』と、

相手を満たしてあげたくなって、そしたら自分も満たされて

一ヶ月にたった一度だけでも

「愛される」ことに溺れていく。

溺れて息ができなくても、

それでも、「好き」と言われたい。

 

一緒に、安心して眠りたい。

 

 

 

□を丸く掃く、うそつき。

 

「どうしてそんなに、好きな人の好きなことが好きになれるのかな?」

そう聞かれたことがあるけれど、

単純に、

一緒に話したり、一緒に出かけたり

好きなことが一緒だったら、そういう一緒の時間が

多くなるから、と答えた訳で

「それじゃあ、その好きなことは、自分が本当に好きなことではなくて、

相手と一緒にいるための手段みたいなもの?」と返されて

そんなこと考えてみたこともなかったから、

全然答えられなかった。

 

だけど最近思うようになったことは、

相手と一緒にいたいから、好き

自分のダメなところが全て許される気がするから、好き

と、

この2パターンで、私の「好き」は構成されているなと。

 

特に後者に関しては

一度その楽しさというか、中毒になる何かを得たら

現状、もうそれなしでは生きられないかも、

ぐらいのところまで来ていて、

それも、誰でもいいって訳ではなくて

特定の人ありきの、それ、になるから

余計にたちが悪い、

中毒性を持った麻薬的何か、だと思う。

 

この前、とある芸人さんがテレビ番組で

「筋トレってしんどいから嫌だって思ってましたけど、いざやってみるとすごい良いなって。例えば、ネタが滑った日の帰りにジム寄って、これでもかってくらい鍛えるんですよ。そうすると、滑ったこととか、ダメな自分とか、全部許される気がする」

って話をしていて、

あぁ、なんかわかるかも、と。

筋トレとはかけ離れているけれど。笑

 

 

全部許される感じ。

簡単な言葉で言えば、無。

ダメな自分も、よくできなかった自分も、嫌いな自分も

その瞬間に全部消えてなくなる、

そんな感じ。

 

あぁ、このまま消えてなくなってもいいかも

って瞬間に、また現実に帰ってきて

それでまた一つ、何か許された感じがして

その享楽的姿勢って、

自分でも驚くほど貪欲で、醜くて、我儘で。

相手がいなきゃ息ができなくなって、

ゆら、と揺らめくほど、それの反動は大きくて。

蒼白くて、暗紫色で、痛々しくて

それを見てる度に、満たされる。

新しく生まれ変わったような、そんな感じ。

 

 

闇雲に舞い上がって、

其処に残るのは必ず寂しさと嫉妬だけで、

その嫉妬が醜くて、もっと大事にして欲しくて

 

寂しさと嫉妬から少しでも救い出して欲しくて

苛立ちと欲に支配されていたい、恣意的解釈。

その甘美に浸る瞬間ほど、醜くて、暴力的なことは

この世には存在しないんだろうな。

 

 

明日も、明後日も、

 

闇雲に舞い上がった先には

何一つ、残らないんだろうな。

 

 

あしあと

 

好きな人にご飯を作ること。

「おいしい」と食べているところを見ること。

 

いつまでも、こんな風にいられたらいいな。

この時間が続いたらいいな。

 

そんな風に毎日を過ごしているのに、

何も、誰にも幸せになれないことから抜け出せない。

否、抜け出すことが、怖い。

 

抜け出したら、

いよいよ一人になってしまいそうで

誰にも、どこにも、拠り所がなくなってしまいそうで

怖い。

 

「本当に愛してもらいたい人がいるなら、間違ってる」

という言葉が、重くて、重くて。

 

愛してもらいたいのに

どうして良いかわからなくなって

相手を責めることしかできなくて、

我慢することしか、わからなくて

その度に

自分自身が大嫌いになる。

 

大嫌いになったら、

窓のない部屋に行って、抱きしめてもらう。

寂しくなったら、手を繋いでもらう。

 

それでもいつもどこか、物足りない。

それを一人になると実感する。

 

 

何を、どうしたらいいかわからないまま

一人になることが怖くて

望まれることだけを探して

目の奥の幸せを感じとることで

自分の存在意義を実感できる、其処に

また溺れていく。

 

そうやって息ができなくなって、

いつかは消えてしまうんだろうな。