こ と ほ ぎ 。

ふとした日常の、何気なく感じた、そんなことをつぶやいています。

友情とは

 

 

男女の友情、というものほど

この世の中で信じられないものはない。

そんなもの、

この世には存在しないと、思っている。

 

一線を超えていないからこそ、

その姿はいつまでも心に残り、棲み続ける。

何か不都合が起きた時のお守りかのような、

棲み続けて、息をし続ける。

 

”私たちは、友情関係だ”

そう思っているのは本人たちだけで、

棲み続けているのは、事実だ。

 

視界の中で棲み続けるのと、

心に棲み続けるのは、全く違う。

心に居続ける方が、タチが悪い。

都合の良い時に引き出してきて、

プラトニックだと言い張るのだろう。

 

 

男女の友情なんてものは、

片方が一生、片思いをしているだけ。

たとえそれが、

昔に振られた関係だとしても、だ。

時が経ち、もう片方が

片方の一生モノの片思いに気づいたとき、

浮気だろうと、不倫だろうと、不貞だろうと

2人だけの世界に、深く、溺れていくのだろう。

 

 

男女の友情なんて所詮は戯言だ。

その戯言全てを、燃やしてしまいたい。

一生、その心に棲まうそれを、灰にしたい。

 

 

 

そう、思っている時点で

私は一生、心には棲めないのだろう。

4回目

 

気づけば、ここに来てから

4回目の春が来ました。時間はあっという前。

 

間違っていると思いながら、

どん底から救ってくれるなら、誰でも、何でもよくて

それを選んだのは自分自身なのに

そのこと自体に苦しくなって、

最低の心理で埋めあうことも

もう2年経てば当たり前になって。

 

あのとき、断っていれば

今の状況は違っていたのかもしれない。

あのとき、自分の置かれている状況を

思うままぶつけていたら

何か違ったのかもしれない。

 

 

発狂しそうになって、息ができなくなって

悲しくて、苦しくて、

必死で堪えるうちに、海の底にゆっくり沈んでいくような

そんな感覚になって、溺れて、

そこからはもう、記憶がない。

仕事をしていても、

思い出すだけで息が苦しくなる。

それをまた、薬で抑える。

せっかく薬が要らない身体になったのに、

また振り出しに戻ってしまった。

この、無限ループをいつまで繰り返せばいいのか。

いつまで繰り返したら、

自分自身を許せるようになるのか。

 

あのときはごめんね、と言われれば

あのときは遊びだったんだよ、と言われれば

あのとき、どれぐらい苦しくて

どれぐらい悲しかったのか知ってもらったら、

心が軽くなるのだろうか。

 

好きだと言ってもらわないと不安になる、

そのことをわかっているから

毎日のように「好きだよ」と言って安心させようとしてくれる。

わたしの存在証明をくれる。

それから逃げられずにいることを、

わかってもらいたいのだろうか。

 

 

4年も経ったら

何が正解で何が間違っているのか、

よくわからなくなってしまった。

その目には何が写っているのかすら、聞けずに

毎日が只、流れていく。

 

 

とにかく今は、

薬の要らない身体になりたい。

普通の、身体になりたい。

 

くらやみ。



好きでしていたことじゃない。

そう、せざるを得なかった状況が

それを、選ばざるを得なかった現実が

そこに存在していただけのこと。



言葉を造って、心を殺して

得たものはすぐに消えていく。

時には罵られ、馬鹿にされ、

何にもならない日もあって

賑やかな外の声が煩くて、羨ましくて

ビルの隙間の朝日を

ぼんやり眺めながら

家まで続く真っ直ぐな道を

何も考えずに、とぼとぼ歩く。


楽しそうな顔を見て、

苦しいも悲しいも言えずに押し殺して

自分を造って笑うだけ。


帰りたい。

友達に会いたい。

家族に会いたい。

苦しい。やめたい。逃げたい。




あの時の、そんな気持ちが

ふつふつと湧いて、止まらなくなって

その場に居られずに

ただひたらすら、とぼとぼ歩いた。

ぽろぽろ溢れるものを拭いながら

とりあえず、歩いた。


桜が綺麗だった。

立派なお家から洩れる灯りが綺麗だった。


夜道も悪くないな、と思った。

心が少し、落ち着いた。



どうやら、暗闇は

心を落ち着かせる作用も、あるようだ。


朝がくるということ

 

「大丈夫」なんて、

唯、自分を納得させるための言葉に過ぎなくて

「また次があるからいいよ」なんて

到底、期待はしていなくて。

 

欲しいものは、一日中一緒にいられる権利。

その権利が自分の番に回ってくる時のために

我慢して、我慢して、我慢して

ようやく回ってきた時には

自分が期待していたものにはならなくて。

 

相手のことを思って、何も言わないわけじゃない。

自分が我を通せば、

その順番すら、回って来ないかもしれない。

どこかできっと、

寂しがっていたり、悲しがっていたりすることに

気づいてくれるかもしれない。

そんな淡い期待でしか、

わたしは、今を繋いでおくことができないから。

 

限られた日、限られた時間。

人は、その方がその限られた物事を大切にできるんだろう。

「いつか」は「いつか」なんかじゃない。

もう、来ないかもしれない。

だからこそ、

お互いがお互いの支えであり続けたい、と思えるのだろう。

でも、ずっと一緒に居たらそうじゃなくなる、

人間はそういう生き物なんだと思う。

 

 

他人のものを、現在進行形で奪っている人間が願うことでもないし

ましてや、普通を望む事すら

烏滸がましいのかもしれないけれど

その普通、が普通に此処に存在するならば

きっと底の見えないところに

落っこちていく事すら、なかった。望まなかった。

霞んで消えてしまいそうな毎日に必死でしがみついて

未来なんてないところに、無理やり居場所を作って。

隣にいる代わりに心がすり減っていって。

「大丈夫」と唯、抱きしめてもらわないと崩れそうだった。

「こっちにおいで」と抱き寄せてもらわないと、

「ひとりぼっちじゃないよ」と手を握っていてもらわないと、

1人で落ちていくのが、怖かった。

 

隣にいるだけの苦しさを、悲しさを

唯、救って欲しかった。

 

きっとこの現在はそういった類の代償で、

罪と罰があるから、この世界は均等にできている。

自分に順番が回って来なくても、

それは毎日の罰。

 

手を繋いで眠る時だけ、

その罰が少し、軽くなる気がする。

ほんの少し、普通でいられる。

烏滸がましいけれど、これが続けば良いと願ってしまう。

 

そうやってまた、朝がくる。

ひとつだけ。

 

 

 

何も求めなくても、一番欲しい言葉をいつもくれて

何も期待しなくても、それ以上のことをしてくれて

なにより、

「わたし」という人間がただ其処に存在しているだけなのに

それだけのことを、喜んでくれる。

未来を約束できなくても、今、をたくさん与えてくれる。

想った分だけ、それ以上を返してくれる。

 

 

毎日、毎日、先が見えない不安に気づかないふりをして

立ち位置のない立ち位置なんて見ないふりをして

大人びた言葉で誤魔化して、

面倒だと思われないように必死で。

本当は、とても寂しいし、悲しいし、苦しい。

本当は、テレビを見てケラケラ笑ったり

コンビニスイーツを半分こしたり

お風呂に入って、歯磨きをして

くっついて眠りたいだけなのに。

 

お金持ちになんて、ならなくていい。

平凡な毎日でいい。

何も、高望みなんてしないのに。

そんなことは、望んでいないのに。

悲しいと苦しいと悔しいが混ざりあって

笑うことすら、忘れてしまいそう。

 

 

 

未来の幸せが約束できなくても、

今、わたしを生かしているのは

紛れもなく、前者。

丸と丸

 

 

今月上旬、

ずっと心に溜め続けていたことが

大爆発しました。

 

 

わたしの何気ない一言を

心の支えにしてくれている人が

「もういっぱいいっぱい」と

泣きそうな声で言ったこと。

 

毎日一緒にいる人が

わたしの事を思ってくれてる、と

思い込んでいただけだ、と

気付かされたこと。

 

 

悲しみ、不安、苦しみ、

その全てに気づかないフリをして

蓋をしてきたことが、

ほんの些細なことでガラガラと崩れて

もう、ここに自分がいなくなって

誰も悲しまないんじゃないか、って

毎日考えたりして。

 

 

溢れる感情は、怒りでも諦めでもなくて

ただただ、

自分に対する情けなさと、悔しさと

この、自分の中の感覚が

目の前の人間に伝わらない苛立ちと

そればかりになってしまって、

大爆発した割には

その時は結局、

不完全燃焼のまま終わってしまいました。

 

 

思考に上げると

苦しい、以外の何でもないので

無理に考えずにいたんですが、

やはり身体は正直で

固形物を受け付けなくなってしまって。

メンヘラめんどくさい、とか

思われたくないなって思う一心で

とりあえず食べて、

食べ終わったらトイレで吐いて、

みたいな生活を2週間近く。

ジュースとか飲み物は大丈夫なので

炭酸ジュースとかカフェオレで

胃を塞ぐ、って感じでした。

摂食障害自傷行為だ、って言いますが

本当にその通りで、だんだん、

吐かないと落ち着かなくなってしまって。

吐いて、吐くものがないのに

また指を入れて吐く、

を繰り返していました。

 

 

2週間に1回、

整体で全身調整をしてもらっているのですが

その時に軽く、

言える範囲で現状を相談したら

わたしの身体を通して整体の先生へ

意識が伝わったようで。

 

先生がおっしゃっていたのが、

「いい意味で交わらないというか…。丸が2つあったとして、交わってる丸もあるけど、2つがくっついてるのあるでしょ?一部分だけが触れてるやつ。(悩んでいる)相手とはあんな感じ。うまい具合に(わたしが)間を作るから、そこが良いんだと思うよ。他の人とも仲良くなれるかもしれないけど、それは本人がしんどくなるはず。」と。

 

 

 

ああ、そうか。

わたしは交わることばかりを

望んでいたんだな、と

気付かされました。

交わらないから、伝わっていない。

交わらないから、苦しい。

 

人と人の関係って

丸と丸が触れ合うぐらいの

間があったっていいんだよな、と。

ぎゅーぎゅーに交わるんじゃなくて

「自分」を大切にしながら

「相手」の隣にいる。

 

自分を見つめたとき、

その間がないと

わたしも苦しくなるもんなぁ、と。

 

 

そう考えたら、心が少し軽くなって

もうあれこれと

見えない先のことを悩むのは

やめにしよう、と思えました。

(きっぱりやめるのは難しいので、少しずつ思考を変えている最中です…。)

 

いい意味で、

これが人生の転機になるのかもしれない…!

 

 

 

 

まだ、

食べたあとの気持ち悪さはありますが

吐くのは少し治まっていて

吐かなくても

なんとかやり過ごせたりする日が

増えてきています。

 

「今日(整体から)帰って少し経ったら、意識が変わってるといいけど!」と

先生が言っていましたが、

確実に心が軽いです。笑

 

 

 

いったん落ちるところまで

久々に落ちたので

ここからは上がってくると信じたいです。

 

 

 

潰れる。

 

 

わたしが出かける時は大抵いつも雨降りで、

たまには青空の日に

出かけてみたいって思っていて

今日はすごい綺麗に晴れているのに

やっぱり出かけられなくて。

 

どれかを選んで欲しいわけでもないし、

時間のすべてを使って欲しいわけでもないし、

ただ、ただ、

希望を持たせることだけはしないで欲しい。

 

 

知らなくても良いことを知って、

手が震えて、悲しくて、

「助けて」って言いたくても躊躇して、

なんだか前の自分とは違うみたいで

深く沈んでいくだけで

目の前の物事に感情をなるべく入れないように、

閉ざした方が、早い。

 

自分が壊れないように、

苦しい気持ちを感じられなくなるように

補ってもらう方法しか思い浮かばない。

 

 

もう、今度でやめようって思ってたのにな。

苦しい、悲しい、辛い、

そんなことすべて感じられないくらい

深く沈めてもらわないと

息が苦しくて

 

本当に、もう、潰れそう。