こ と ほ ぎ 。

ふとした日常の、何気なく感じた、そんなことをつぶやいています。

ホットカーペットと、猫。

 

空気感、という言葉はとても上手いものだな、

と思います。

その「空気感」に個別に色をつけたのが、

私のいうところの「エネルギー」に近いような

気がします。あくまでも、個人的主観ですが。

 

「人の記憶を遡った限界は、5歳程度。」

と、学生時代に習った記憶がありますが、

私が記憶を辿った先は、もう少し幼い所へ

必ずと言って良いほど、たどり着きます。

そして、記憶とともに強烈に再生される感覚が、

『思ったことを、感じたことを、口に出してはいけない』

ということ。

毎回、同じ場面を思い出し、

まだダイニングテーブルの椅子の、てっぺんを見上げるほど

小さかった自分の、戸惑い、恐怖、緊張、悲しみ。

それが一気に再生されます。

なんというか、

脳の「記憶」という箱があるならば、その底に

べったりとこびり付いて、剥がれません。

 

その時から、

周囲への感覚を研ぎ澄まして、

周りが望む「自分」にならざるを得なかったのだと思います。

言葉を発する前に、まず脳内でレスポンスを想像し、会話し

整合性を確かめてからでないと、話すことができませんでした。

特に、近くにいて欲しい人には強くそれが出てしまい、

俗に言う「言葉のキャッチボール」が下手くそだったと思います。

 

しかし、この癖は今もなかなか抜けず・・・。

脳内ポイズンベリー、状態です。笑)

それでも、最近は少しずつ思ったままを言うように

心がけています。ですが、声に出すことはまだまだ苦手で、

文字としてやっと、という段階です。

 

全てを受け入れて、とよく思ったものですが、

よく考えたら、自分のありのままを出してないのに

全ては無理じゃない?と。

なので、今は、できる範囲で受け入れて、の形に変わりました。

そういう感覚の方が言いたいことが言える気がして。

0か100にこだわるのも、やめました。

自分勝手だな、と思うこともありますが、

何だか思うままに自由に生きている気がするのと

色んな形があっても良いか、と思うのと。

そうすると、たちまち気にならなくなるのです。

甘えたい時に甘え、泣きたい時に泣き、

苦しい時は助けを求めて、幸せな時は笑う。

それで良いじゃないの、と。

 

 

その所為もあるのか、前よりもずっと、

心がほこほこしたり、穏やかになっている気がします。

あぁ、この時間が好きだな、と感じる余裕すら

生まれる日もあります。

そして、見えない何かに怯えて過ごすことが減りました。

「安心」が一番近い言葉かもしれません。

幼く、怯えた自分を包みこむほどの安心感。

隣に行きたい時は行き、離れたい時は離れ。

 

私は何より、この「安心」できる日々が

たまらなく、幸せです。